サラワクの王とアカエリトリバネアゲハ

僕が初めてアカエリトリバネアゲハ を見たのは1968年高校3年のこと。台湾の捕里にある「木生昆虫社」だった。1頭100円ほどの標本を3頭購入し大切に持ち帰った。店のご主人余清金氏はこのチョウは台湾ではなくマレーシにいることを教えてくれた。
それ以来この大きく美しいチョウを実際に見てみたいと毎日考えるようになっていた。
実際に見ることができたのはそれから10年ほど後だったがマレーシアのキャメロンハイランドの入り口とも言えるタパの街から少し行ったところに何十と集まって給水をしているのを見て鳥肌が立った。
今でもマレーシアにゆくとご挨拶がてらに必ずその場所にゆき写真を撮る。
アカエリトリバネアゲハ が記載されたのは1855年のこと、命名者はあのアルフレッド・ラッセル・ウォレスだ。
この時,彼は失意の中サラワクに滞在していた。というのも数年前に出版した2冊のアマゾン川探検の本が全く売れず6個の論文も反応が少なかったからだ。
アマゾン川探検 扉.jpgしかし1855年2月にはいわゆる「サラワク論文」を出すなど起死回生を狙うウォレス の姿が見えてくる、
時のサラワクはイギリス人のジェームズ・ブルックがサラワク初めての白人王(ラジャ)となり統治をしていた。
sir_james_brooke_1803_68_raja_hi.jpg
アカエリトリバネアゲハTrogonptera brookianaはウォレスがブルック王に献名したものだ。記載文を読んでないのでどこの標本をもとに記載したかはわからないが、サラワクでもこのチョウは見ることができる。
ラジャは体調が悪くなるとおいのチャールズブルックを後継者とした。彼はサラワクに10年滞在し1866年に”Ten years in Sarawak” を出版している。Ten Years In Sarawak.jpg
一方,ウォレスは1869年に大著「マレー諸島」を出版し一躍有名になる。
アカエリは初期にはオスとメスの性比が1000:1とされていた。オスは吸水のために水場に多数集まるのに対しメスが一向に見つからないからだ。
アカエリ集団.JPG
メスは花に来るがなかなか見つからない。アカエリメス.JPGしかしのちになって飼育の結果オスメスの性比は1:1であることが結論づけられた。
このように歴史と人間関係を絡めてみてゆくとアカエリトリバネアゲハの物語を面白く描けるのだ。
Icones Ornithopterorum.jpg

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